1.1 第一のメッセージ(神代紀上第五段)

『書紀』はヒミコを読むのも難しい四文字に書き直した上で、その四文字のまたの名をアマテラスというと我々に告げている。伊勢神宮の祭神としても著名な、かのアマテラスがその四文字のまたの名に過ぎないというのは意外な感じがするかもしれないが、ここに『書紀』の奥深い思慮が秘められている。

『書紀』にヒミコらしき女王の姿を求めていくとまず目につくのが第一巻神代紀上の幕開け早々からはなばなしく登場するアマテラス(天照大神)である。『書紀』によれば、万物の創造主イザナギ、イザナミが天上の主者たらせんと共に生んだ日の神が大日孁貴(読みは後述)で、そのまたの名をアマテラスとしている。すなわち、アマテラスはこの読むのも困難な日の神大日孁貴のまたの名に過ぎないと宣言しているのである。
 さてこの四文字、冒頭と末尾の尊称、大と貴を省けば、「日孁」である。ここで、「孁」という難しい漢字について、岩波文庫本の校注に、

「『孁』は、巫女(みこ)の意で用いた文字であろう。(中略)靈(れい)の巫を女に改め、孁とすることによって女巫であることを、書紀の筆者が意味的に示そうとしたものと思われる」とある。

 そうであれば、①「孁」という語は『書紀』の造語で、②「(日)孁」の意味するところは「(ヒ)ミコ」である、ということになる。
 さて、大日孁貴をどう読むか。実は、それは『書紀』自身がその割注で「於保比屢咩能武智(おほひるめのむち)」と訓じている。その場合、「日」は、「比」あるいは夜の反対語としての「比屢(ひる)」のどちらにも読みうるが、「孁」は「屢咩(るめ)」とも「咩(め)」とも読めないので、『書紀』がなぜ「日孁」と書いて「比屢咩」と訓じたのかという謎が浮上する。
 すなわち「日孁」の中に「咩(め)」と読める部分がどこにもなく、「孁」という文字を上下に分離して始めてその脚「女」が「咩(め)」と読めるのである。
   これは、「孁」という字を冠と脚に分解せよという『書紀』からの暗号と思われる。それを証するかのように、『書紀』は念には念を入れて、「孁」の音(読み)は「力」と「丁」の反(かえし)、すなわち「Lei」(=れい)であるとわざわざ注している。(注 反とは反切(はんせつ)の法則(難しい漢字の音を他の簡単な漢字二字を借りて示す標音法)で、具体的に「孁」に適用すると、それは「力=Liki」の頭子音(L)と「丁=Tei」の頭子音以外の部分(ei)を合体した、「Lei」、すなわち「れい」となる)
 これは、この造語「孁」の元字が「靈」(霊はこの字の新字体)であることを意味する。先の校注はそれを気付いた上での校注か否かは知るよしもないが、「靈の巫を女に改め、孁とすることによって女巫であることを示した」とする見解はまさに正鵠を射たものと言ってよかろう。
 すると『書紀』は、大日孁貴四文字を表向きは「於保比屢咩能武智」と訓じてはいるが、「孁」の読みに注(力丁の反)を入れることによって、この四文字がヒミコであること、そしてその別名をアマテラスとすることによって、ここに、ヒミコをアマテラスに仮託したことを見事に宣言しているのである。

 

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