4.2 神代紀下の核と謎

 神代紀上の主役はスサノオとアマテラスであった。しかるに、下()になるとタカミムスヒ(高皇産霊尊[たかみむすひのみこと])なる神が突然現れ、アマテラスをさしおいて天上界を取り仕切る。すなわち、自分の娘栲幡千千(たくはたちち)姫をアマテラスとスサノオのウケイで誕生したオシホミミに嫁がせ、二人の子ニニギ(瓊々杵尊[ににぎのみこと])が誕生するや、諸神に命令して騒がしい天下(=国土)を平定させたのち、孫のニニギを天下の支配者として天降らせるというストーリーが展開されていく。ニニギは日向(ひむか)(「ひゅうが」とも)の高千穂に天降ったのち、当地の木花開耶姫(このはなのさくやびめ)と結婚し、生まれたヒコホホデミを山幸彦(やまさちひこ)とする、海幸山幸(うみさちやまさち)神話が語られ、ヒコホホデミの孫のイワレヒコ(のちの神武天皇)の誕生によって幕が閉じられる。
 そのストーリーから物語を全て削り取って系譜だけを取りだすと、そこに神代紀下の核が見えてくる(下図左側の左欄)。


 すなわち、神代紀下の核はヤマト初代天皇神武にいたる系譜を示すことであって、その后の系譜を示していた神代紀上の核(上図左側の右欄)と合わせ、上下セットで皇祖神の系譜を提示しようというのが神代紀上下の本質である。
  本質はそれとして不思議なのはスサノオを起点としたとき、神武天皇とその后に三世代の不一致があることで、この謎に対する私見は3.1 神代紀上下巻に横たわる系譜の謎で述べた通りである。
 すなわち私は、この三世代の不一致を解く鍵として、『書紀』が神武のことをヒコホホデミと計六度にも渡って強調していることから、神代紀下本来の系譜は上図右側の左欄であったろうと推論したのであった。
 ここで、改めてオシホミミのことを考えてみよう。
 オシホミミとはアマテラスとスサノオとのウケイによってスサノオの口から霧状に吐き出された五男神の長男であった。このとき、アマテラスも三女神を吐き出すが、私はこれを『書紀』がスサノオを五男に、アマテラスを三女神に分身するための苦心の創意と考え、夫々スサノオ=五男仮説、アマテラス=三女神仮説を提唱したのであった。
 両仮説は表裏一体であって、ここまでアマテラス=三女神仮説の検証は第2章でほぼ成し終えた。であるから、スサノオ=五男仮説もおそらくは成立するはずであるが、何分、この仮説は重い検証課題であるので、稿を改め別に実施する。
 が、今、仮にこの仮説を受け入れると上図より神代紀上下の系譜における三世代の乖離は消滅しオシホミミことスサノオから神武あるいは神武后に至る系譜はいずれも三世代で見事に一致することは確認しておきたい。
 ここで重要なのは、
①神武の祖父、及び外祖父は共にスサノオである。すなわち『書紀』は一見スサノオをどうしようもない乱暴者に描きながらも、その実、スサノオこそが皇祖神中の皇祖神として最重要の人物であることを系譜によって主張している。
②大己貴(おおなむち)とニニギは共にそのスサノオの子であって、異名同体の可能性がある。
③その場合、木花開耶姫の夫ニニギというのは大己貴ということになる。

  以上の②と③の詳細は次節で検討する。
 ところで、神代紀上下間にはあと二つの不整合がある。
 その一つは大己貴と以下に紹介する事代主との関係だ。
 実はここまで混乱を避けるために事代主のことについては詳しく触れなかった。ところが前節でも少し触れたように実は神代紀上の系譜はここまで示してきた神武后ヒメタタライスズ姫の父を大己貴とする本文の系譜以外の異伝が示されているのだ。
 どういうことかというと、まず神代紀上八段一書⑥の本文にはこれまで説明してきたように、ヒメタタライスズ姫を大三輪の神(大己貴)の子としている。ところが、この記事に続いて、「又曰わく、事代主の神、八尋(やひろ=大きな)ワニになりて、三嶋のミゾクイ姫、或いは云わく玉櫛姫というに通いたまう。
而(しこう)してヒメタタライスズ姫を生みたまう」なる異伝を記しているのだ(右図)。
 不思議なのは、ここでは事代主の出自が全く示されていないので、事代主というのは大己貴の異名としか思えないのであるが、神代紀下になると、事代主とは大己貴の子として紹介されているのである。
 そこで、事代主の正体を探るために、今一度、神代紀上下の系譜のみでなく、そのストーリーから見ていこう。
 神代紀上は大己貴の国づくりで幕を閉じ、続く下巻では、その国を、天上界の支配者として突然登場したタカミムスヒが諸神に命じ、大己貴から簒奪(さんだつ)する物語が展開されていることは先述の通りである。
 すなわち、タカミムスヒは天上界から地上界の大己貴のもとに国譲りをうながす使者達を次々に派遣するのであるが、話し合いによる解決は、いずれの使者も大己貴におもねり媚()びて失敗に終る。しびれを切らしたタカミムスヒはついに武力を背景とした脅(おど)しによってようやく簒奪(さんだつ)に成功したことになっている。
 ここで不思議なのは、大己貴が国の譲渡という重大事にあたって、自身では判断せず、子の事代主に判断をゆだねるという不自然なストーリーになっていることだ。だいたいが、事代主というのは神代紀上では大己貴との血縁関係が全く示されないまま突然登場してきて、大己貴の異称と思えないこともなかった。それが、下巻では一転して大己貴の子とされ、ここでも前触れもなく登場してきて、国譲りという重大事を判断したかと思えば、その直後に海中に身を沈めて消えてしまったことになっている。
 すなわち事代主はその登場の仕方といい、役割といい、姿の消し方といい、何から何まで不自然で、まるで大己貴の尊大さを分散し、低めるためだけに登場しているかのような印象を受けるのだ。それに、もし彼が、本当に国の譲渡という重大事の決定を託されるほどの重要な人物であるとすれば、父の名のみでなく母の名も記されてしかるべきであるのに、『書紀』の中にはいくら見回しても、見つからない。
 この不合理きわまりない謎は次節で述べる神武紀にも持ち込まれているので、その核と謎を探る中で私なりの解を示してみたい。
 神代紀上では大己貴が国づくりをした場所として、出雲とヤマトとが暗示されている。 
 続く下()ではその大己貴が支配していた国を上述のようにタカミムスヒが奪いとり、やがて自身の娘とオシホミミとの子であるニニギを天降らせ云々と話は展開していく。そこまでは上、下間になんら問題はない。
 ところが、不思議なことに、その降臨先が大己貴の譲った出雲でも、あるいは大物主(おおものぬし)の別名で支配していた三輪山のヤマトでもなく、九州の日向とされている。ニニギは縁もゆかりもないはずの日向に降臨し、そこで美しき木花開耶姫を娶(めと)って、ヒコホホデミをもうけ、やがて、その孫たるイワレヒコ(のちの神武天皇、ヒコホホデミとも)がその地で誕生したとして神代紀下は幕を閉じるのである。
 この思いがけないストーリーの転換は多くの史家を悩ませており、いまだに誰しもが納得しうる合理的な解釈はなされていない。それもそうだろう、この誰にでもすぐわかるストーリーの断絶は唐突であまりにも不自然なゆえに、『書紀』編者の意図を理解できずに立ち尽すしかないからだ。一体、『書紀』はこの不可解の裏に、何をいいたいのだろう。ひょっとして、神武天皇が日向で誕生したというような史実が本当にあって、どうしてもそれを伝えたかったというような事情でもあったのだろうか。
 それにしても、ここまで神代紀上下の核と謎を追究してきて、スサノオとアマテラスの奇怪なウケイや、神武天皇とその后の系譜等において、一筋縄では解きえない複雑で巧妙なカラクリが見出せた。そんな手の込んだ編纂(へんさん)をいとわない『書紀』編者が、神武天皇の誕生場所を告げるのに気を取られ、神代紀上下間の不整合性に気付かなかったとはとても考えられない。ではどうして、出雲でもヤマトでもなく、日向なのか。
 かような神代紀上下間を切り裂く二つの不整合を残したまま『書紀』の舞台は第三巻神武紀に移っていく。
 
目次
前頁 次頁

inserted by FC2 system