2.5 和銅日本紀と『古事記』との関係

 友田説によれば『古事記』にはその二年引き上げられた干支紀年法が適用されているので、『古事記』の完成年月は現在の西洋暦では714年(和銅七年二月十日)となり、従って、『書紀』と『古事記』の完成年の差は八年からわずか六年に縮まるのである。
 友田はこの二年繰り上げられた干支が使用されていた痕跡を『政事要略』(平安時代中期)や『扶桑略記』(平安時代末期)あるいは『帝王編年記』(室町時代初期)等およそ十ほどの書物に見出している。
 この二年繰り上げられた干支紀年法の源流について、友田は『日本書紀成立の研究』の初版本(1969年)では不明としながら研究を続け、ついにその源流が、インドの八十五年に一次(暦一年分相当)を飛ばす木星紀年法に基づいており、仏教と密着して中国に伝えられ、さらに仏教に伴われてわが国に導入された傍証を見出し、『日本書紀成立の研究』増補版(1983年)において一章をもうけ、詳述(743―763頁)されているので、興味のある方は是非ごらんいただきたい。
 以上の友田説が正しければ、旧日本紀と『古事記』は同時(現在の暦では714年)に撰進されたが、その後、日本紀の方にはなにがしかの事情があって、すぐに改訂の事業にとりかかり、さらに六年を経て養老四年(720)に改訂版が撰上されたということになる。そのなにがしかの改定理由の一つとして、『百済本紀』の出現ではなかろうかとする興味深い推論が最近千葉商科大学教授の江口洌(きよし)氏によりなされているので(『古代天皇の聖数ライン』河出書房新社、2007年)、こちらも併せて参考にされるとよいだろう。

 

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