スサノオ(素戔嗚尊)は実に謎めいた神である。
書紀の神話に登場するスサノオは天界では亡き母の国へ行きたいと泣き叫び、多くの人民を夭折(ようせつ)させたり、青山を枯らした上に、日の神アマテラスを傷つけ天磐戸(あまのいわと)にこもらせたあげく、
神々から髪や爪を抜かれて下界に追放される悪神である。
ところが追放されて降り立った出雲では今にもヤマタノオロチに飲み込まれようとしていた娘を救出して、日本初と言われる和歌を歌ったり、救出した娘(稲田姫)との間に、国造りの大神として名高い大己貴(おおなむち)
(別名大国主)をもうけたりと知性と優しさにあふれた神に変身しており、善悪つかみようなくとまどうばかりである。
ここで、一歩書紀の世界を離れて現実の世界に目を向けると、スサノオは歴代の天皇や武将、さらには大衆の心の拠り所として篤(あつ)く崇敬されてきた歴史がある。
たとえば、第四十代天武天皇は壬申の乱(672年)で大友皇子と覇権を争って、いったん美濃の不破(ふわ)の行宮(あんぐう)に後退した際、戦勝祈願のためにスサノオを祀り、神渕(かぶち)神社(岐阜県加茂郡
七宗町[ひちそうちよう])を創建している。
愛知県津島市の津島神社は全国に三千社程ある津島神社(俗称 天王さま)の総本社でスサノオを祭っているが、弘仁元年(810)正月、嵯峨天皇はアマテラスを祭る伊勢神宮をさしおいて、当社に「スサノオは皇国の
本主なり」として正一位の神階と「日本総社」の号を下賜(かし)している。正暦(しょうりゃく)年中(990〜95)には一条天皇も、当社に「天王社」の号を贈っている。スサノオがなぜ、時の天皇から「皇国の本主」と
されたり「天王」とされたかは本書を読み進むにつれて御理解いただけるであろう。
スサノオは疫病(えきびょう)や厄難(やくなん)除(よ)けの神としても大衆の間に広く信仰され続けている。たとえば全国各地の神社で現在も行われている茅(ち)の輪くぐりは、『備後国風土記』逸文にある
「蘇民将来(そみんしょうらい)」神話に登場するスサノオの教えが原点であって、我々は知ってか知らずかスサノオに無病息災を祈願しているのである。
さて、これは一体どうしたことか。人々はなぜ、書紀のスサノオ像を無視するかのようにスサノオにかほどの尊崇を捧げてきたのだろう。それはきっと民衆や武将、あるいは歴代天皇の心をとりこにしたその一方で、
書紀が表沙汰できずにいる、何らかのとてつもなく大きなスサノオの事績があるからに違いない。
本HPでは書紀が発する一見不可思議なメッセージを一つ一つ紐解きながら、その解を積み重ねて復元したスサノオの事績を、全国各地に眠る神社伝承や風土記、さらには考古史料によって検証しようとするものである。
(文責
崎元正教 )