1.4 対馬における豊玉姫の伝承

 まず、対馬には「二人が暮らした海宮(わたつみのみや)の神跡」とする神社伝承が十三社ほどある(下図)。これらの中で、当地こそ豊玉姫とヒコホホデミとが三年間暮らした海宮であるとするのが豊玉町仁位(にい)にある和多都美(わたつみ)神社(図の①:左側上から三番目)で、ヒコホホデミと豊玉姫が祭られている。その北方約2㌔には二人が三年間暮らしている間に豊玉姫が懐妊し、生んだとされる皇子ウガヤを祭る和多都美御子神社(②)があって、ウガヤが祭神として祭られている。両社の祭祀から、和多都美の神とはヒコホホデミと豊玉姫であって、その二人の御子がウガヤとして祭られているらしきことが推定される。
 ところが当地におけるウガヤの伝承を追ってみるとなぜか両親が暮らしたという和多都美神社(①)から南東8㌔も離れた美津島町鴨居瀬(みつしまちょうかもいせ)の小さな岬の先端に建てられた住吉神社の地(A:上図右側中ほど)で誕生したとされている。そこは出産地には不向きな海辺である上、どういうわけか当社はその後、当地から10㌔ほど南南西の同町雞知(けち)の住吉神社(B)に遷されている。鴨居瀬が本当にウガヤの誕生地であれば、そんな記念地を捨ててまで遷祀していくというのはまことに不自然なことである。
 加えて、ウガヤを養育したとされる六人の女性が、この鴨居瀬の北方約8㌔の豊玉町千尋藻(ちろも)にある六御前(むつのみまえ)神社(⑬:右側一番上)に、「上古この地は海神(わたつみ)の神蹟にしてヒコホホデミの御子ウガヤの御養育につかえたる乳母(ちおも)他六女神の祠(ほこら)(である)」とあるのも不自然さが募る。なぜなら、この地も両親が暮らしたという和多都美神社からは、北東7㌔ほども離れており、ここに住居地(①)、誕生地(A)、養育地(⑬)がおよそ長辺七、八㌔の二等辺三角形(の点線)をなすという、なんとも人為的な伝承になっているからである。
 それに、この地で実際にウガヤが誕生したというのであれば、もう少し具体的な誕生譚や、幼少時の伝承、あるいは後に妻となったとされる玉依姫との関係を示す伝承が近辺に少しはあってもよさそうなものが、それらについては皆無である。それは豊玉町から美津島町にかけて、豊玉姫とヒコホホデミの海宮の古跡であったと伝える十三箇所の神社の祭神面からもいえることで、ヒコホホデミは過半数の六社に、次いで玉依姫が五社、豊玉姫は四社に祭られているが、ウガヤを祭る神社はわずか一社に過ぎない((右下の表)。
 この中で興味深いのは美津島町芦浦(よしがうら)の乙宮(おとみや)神社(⑩:右側上から四番目)で、由緒には「この付近に往古瀬戸の浦あり。祭神の姉豊玉姫がウガヤを産み給いし産屋の古跡ありて云々」とありながら、祭神にはウガヤの影も形もなく、玉依姫が祭られている。まるで、豊玉姫の子はウガヤではなく実は私なのですよと主張するがごとく。
 さて、海宮(わたつみのみや)の古跡の表からは祭神としてヒコホホデミが最も重視されていることがわかるが、改めてこれらの伝承地を眺めると、それらの地がスサノオの朝鮮半島往来伝承地の空白地帯に集中していることに気付く(別稿のHP【建国の祖スサノオの真実】3.3 対馬からの帰還伝承の図中対馬の中ほど下の丸囲いしたⅠの部分)。ここに、これまでの自説、スサノオ=ヒコホホデミを適用すると、海宮伝承地(①~⑬)は実はスサノオ渡海伝承地の古跡を暗示しているといえるのではなかろうか。
 そのような見解を支持するのが豊玉姫の北九州における伝承解析で見解を保留しておいた福岡県京都郡(みやこぐん)苅田町(かんだまち)の宇原(うばる)神社の伝承だ。そこには、「そもそも当神社は神代の鎮座にして初めヒコホホデミ及び豊玉姫、海神(わたつみ)の宮より還らせ給うとき、日向の神田に御船を繋ぎて陸に上らせ給う(中略)。二柱の神上陸の路あり、豊玉姫、石に腰を掛けさせ給いし地を石の神と号す(今布留御魂(ふるのみたま)の神を祭る)」と伝わっている。
 実はこの宇原神社(上記3.3 対馬からの帰還伝承の図中のⅢ)は、スサノオの朝鮮半島からの帰還伝承があった行橋(ゆくはし)市天生田(あもうだ)の清地(すがち)神社(イ)の北方約10㌔と至近距離にある。その上、清地神社の西方約10㌔に、銅の採掘地で有名な香春岳(かわらだけ)があり、その三ノ岳には豊玉姫の異名同体らしき豊姫が祭られていたし、中央の二ノ岳にはこれまたスサノオの異名同体のオシホミミが祭られていたではないか。
 以上、諸々を勘案すると、ヒコホホデミと豊玉姫の海神の宮からの帰還伝承というのは本来、スサノオの朝鮮半島からの帰還伝承であったのではなかろうか。そういえば、伊都国の志登(しと)神社(同上3.3 対馬からの帰還伝承の図中のⅡ)にあったヒコホホデミと豊玉姫の海神の宮からの帰還伝承(前頁)も同じ類(たぐい)と思われる。そうであれば、同上3.3 対馬からの帰還伝承の図中のⅠとⅡの地点はスサノオ渡海伝承の往来共に、Ⅲは帰還時に立ち寄った可能性を保持しておかねばなるまい。

 

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