2.1 記紀以前に知れ渡っていた三女神=玉依姫

書紀のメッセージによって、我々の眼前にヒミコの化身としての六女神(アマテラス、三女神、木花開耶姫、玉依姫)が浮かび上がってきた。はたしてこれら六女神は本当に異名同体? まずは、三女神=玉依姫から検証していこう。

  アマテラスとスサノオのウケイから誕生した三女神とはいかなる神か。これら三女神の出現を記す神代紀(じんだいき)の六段本文では単に筑紫の宗像君(むなかたのきみ)らの祭神とするのみで降臨の場所さえ記していない。が、その一書①や③では、三女神は当初、宇佐嶋(うさしま)(豊前国(ぶぜんのくに)、宇佐神宮あたり)に降臨したが、今は朝鮮半島に通じる北九州宗像(むなかた)神社から沖ノ島にかけての海北道中に筑紫の水沼君(みぬまのきみ)らによって祭られているとする。三女神について『書紀』はそれ以上何も語らない。
 そこで神社伝承から三女神を見てみると、三女神が降臨したとされる宇佐嶋( う さ しま)には、豊前国一の宮の宇佐神宮があって、ここに三女神が比売(ひめ)大神と名をかえて祀られている。比売大神はその由緒記に、「スサノオとアマテラスとのウケイによりあらわれた三柱の比売大神で、筑紫の宇佐島に天降った神とされている」とあるが、現在では別神とみなす論者もいるようなので確認が必要だ。幸い、宇佐神宮はいわずと知れた全国八幡宮の総本宮で、全国各地に勧請(かんじょう)されており、勧請先でどのような神で祀られているかを探れば、比売大神の正体を知ることができる。その際、勧請の時期も考慮が必要で、『古事記』の712年以前とそれ以降に別けて調べた結果、下表のように712年以前には玉依姫七社、三女神一社、比売大神一社であった。それ以降から宝亀元年(770)までを見ると、三女神九社、玉依姫三社、比売(ひめ)大神一社、木花開耶姫(このはなさく や ひめ)一社とトップが入れかわっている。すなわち、比売大神とは本来玉依姫であって、その後、三女神(田心姫(たこりひめ)[多紀理姫(たきりびめ)とも]、瑞津姫(たぎつひめ)、市杵島姫(いちきしまひめ))へと変化していったことがわかった。

『書紀』は『古事記』の八年後に完成しているので、その頃、三女神=玉依姫は公然の事実であったといってよかろう。 ここにこの公然の事実を通じて、『書紀』の第二のメッセージ(アマテラス=三女神)と、第三のメッセージ(アマテラス=日向の姫[玉依姫])がアマテラスを介して結びつき、アマテラス=三女神=玉依姫が単なる妄想でなかったことが確認できるのである。
 三女神は玉依姫と結びついているだけではない。日向の姫のもう一神、木花開耶姫とも強く結びついている。そのことを次に示そう。
 
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